カオリンは極微粒子の粘土の一種で、紙、ゴム、陶磁器、薬品、化粧品等の製造工程に欠かせない原料の一つだ。昭和30年代、指宿カオリンも様々な分野で利用されていた。

湯之峯神社裏の噴気変質帯2

指宿カオリンは,池田湖畔東方の山腹に分布する。笠沙陶石とともに白薩摩の主原料として用いられてきたが、昭和35年頃から鉱業法上従来のような自由な採掘が不可能となり、加えて、指宿カオリンに含まれるミョウバン石が900℃前後で気化、亜硫酸ガスとなって噴出し焼物の表面に小さな孔をあけることが判ったため、代替として入来カオリン、山川カオリンが使われるようになった。

湯之峯神社裏の噴気変質帯1

上の写真は、池田湖の北東2km,標高約200mの山中にある噴気変質帯。

熱水と火山ガスの作用によって,安山岩や安山岩質の凝灰岩が粘土化しカオリンに変化している。熱を帯びた地面,白い噴気は,今なお,指宿の火山が生きていることを実感させる。

鰻地区に残る登り窯跡

白薩摩誕生

1598年(慶長3)、文禄・慶長の役で朝鮮半島に出兵した島津氏は、朝鮮の文化や産業技術の導入を図るため、80数名の李朝陶工とその家族を連れ帰った。苗代川の陶工であった朴貞用は、1623年(元和9)、原料の藩内調達のため調査にあたり、山川でカオリンを発見、これによって白薩摩の製造が可能となる。

「苗代川焼物由来記」には「寛永之初此御当国而宜焼物可相出来哉此由に諸所へ案内被召附差廻処山川成川村之大岡之白土見出し・・」の「大岡」は、現在の地名にはない。

昭和30年頃にカオリンが採掘されていた場所は字大穴あたり。もしかしたら江戸時代の始め頃、大岡と呼ばれていた場所が、長い年月の採掘で大きな穴になり、大穴と呼ばれるようになったのかもしれない。

指宿カオリン

世界の薩摩焼

「焼物は必要のものなれども用に足すには何ぞ美麗を尽くすに及ばざるなり、然れども外国貿易追々開けるについては、物産の開発を先んぜられば其詮なし、国産の陶磁器は夷人も稱美せり、仍て其のため製造を精良にするの見込みなり、幸い国産の白土は(指宿土、霧島土)陶器に宜しき由なれば、製造をよくする時は、佐賀の磁器同様の産物となるべし」(島津斉彬言行録)

斉彬は、伝統工芸である薩摩焼を輸出商品に育て上げることを計画、1858年(安政5)、二月田温泉に滞在中も粘土の研究に余年がなかったという。このとき、指宿の丈六に間借りしていた陶工が、鰻地区の窯で献上品を焼いたと伝えられている。

斉彬の死から9年後、1867年(慶応3)、薩摩焼は、第2回パリ万国博覧会に出展され、ヨーロッパで高い評価を得る。

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